ルソーとフロイト、そしてグーグルへ
東 浩紀著「一般意思2.0」という本を読みました。
この本のおおまかな内容は僕らが中学生、もしくは高校生くらいのときに社会の授業で名前を聞いたことがある
ルソー(ジャン=ジャック・ルソー)という思想家の考えを現代的に見直して、これから必要とされるであろう日本の政治について
書かれた本です。
一見、とても難しそうな本ですが、かなり読みやすい本でした。
主に政治の話について書かれた本ですが、この話は組織を統治したり、グループで何かをつくるときにすごく役に立つ考えだと思ったので、僕はどちらかというとそういった視点で最後まで読みました。
著者は、既に現代の人々の暮らしに適応できなくなっている日本の政治制度への投げかけとして
ルソーが書いた「社会契約論」とい本に登場する「一般意思」という個人の無意識がたくさん集まってできた全体像を著者なりに見直して、それをバージョンアップさせた考え「一般意思2.0」について述べています。
例えば、「一般意思」は会議の時に出席者に配る飲み物を「冷たいお茶」、「温かいお茶」、「コーヒー」のどれかを出席者みんなに聞いたときにどの飲み物が全体のなかで好まれているかということを表現した言葉です。
どの飲み物が全体の均衡点なのかは、みんなで話し合って合意して決めることではなくて、出席者それぞれの「好み」は会議が始まる前から決まっているはずです。
その好みが季節ごとや時間ごとで変化していき、その履歴を残していくと、一つの「傾向」が出てきます。
この傾向は誰かと直接コミュニケーションをとるわけではなく、「なんとなく」決まっていったことです。
その、誰とも話し合って決めていったわけではないけど、その場の雰囲気でなんとなく決まっていった最適解が
著者が解釈したルソーの唱えた「一般意思」です。
社会契約論は今から200年以上も前の1762年に書かれた本ですが、著者はその考えを現代的に解釈し直すと、国民のニーズが多様化して、適応できなくなってきている現代の日本政治に利用できるのではないかと言っています。
その200年以上も前に書かれた「一般意思」を僕たちの身の回りで探すと誰もが知っているインターネット検索エンジン
「グーグル」にたどり着き、そこから派生すると「ニコニコ動画」や「ツイッター」、「facebook」などがこれからの政治を変えて行くと主張しています。
それはなぜかと言うと、インターネットが普及した今は「総記録社会」だからです。
今、僕がこのブログに書いている行為そのものも「記録」だし
mixiやツイッター、フェイスブック、インターネットショッピング、インターネットで何か検索すること、これらすべては履歴として記録されています。
スマートフォンが近年、爆発的に普及していることもあって、だれもが知らないうちに記録し、履歴を残す社会に変化していっています。
その履歴の総体がひとつの傾向をつくり、それがみんなの無意識的な需要であり、その無意識的な需要こそが政治に役立つのではないか?ということが本書では述べられています。
このインターネットを利用した政治のありかたというのは、単に電子選挙とかネット政党といった次元ではなく
政治が単純化され国民のニーズに柔軟に対応できるような存在へ根本的に変わっていくと言われています。
もし、著者の予想する社会が将来やってくるならば、
国家の役割は「外交および防衛」と、国内の安全をまもる「警察」の大きく二つに集約され
それ以外は民間がすべて行っていくような時代が来るかもしれません。
政治と書くと、日本ではとてもナイーブな存在として扱われるので、これ以上はここでは書きませんが
現代を見る一つの視点としてはとても面白い本だと思います。
だいぶ内容を省略化、簡略化して書いた個人的な感想なのであしからず。
もっと専門的な議論がしたい方は別の機会にでも対応いたします。
ではでは