住まうこと、訪れること


今週末は去年の夏によく行っていた「田子坊」エリアへ。

ここはいつ行ってもたくさんの人で賑わってます。

ただ、約一年ぶりに行ってみて思ったのは、やっぱりここは観光地だということ。

去年は一ヶ月間という限られた期間の間滞在していたため、毎週のように行っていたけど

今、こちらでの生活が始まって、自分が毎週通いたい場所ではなくなってしまってました。

それは、すごく感覚的なものですがワクワクする感じが前とは変わってしまったんだと思います。

生活や日常の延長線上にあるサードプレイス(家、職場以外の場所のこと。三番目の場所という意味)

はおそらく「一瞬のすごく好き」とは違っていて、「ちょっと好きかも、気になる」が

長くゆっくりとつづく場所なのではないかと感じました。


今週末に事務所のスタッフのみんなで食事に行ったときに「感動すること」について少し話しが盛り上がって

人が感動するのは「意外性」と「懐かしさ」の2つの原因があるという話になりました。


田子坊を初めて訪れたときは前者の「意外性」が満たされたのだと思います。

そして、もう既に知ってしまったものは「意外性」をめったに再び帯びることはできないと思います。

もし、僕がここで次に感動するのは何十年後かに上海以外の場所で生活を長くして再び訪れたときなのではないでしょうか?

その時は「懐かしさ」で感動するのだと思います。


建築は人にとって限りなく日常なものであり、

僕はこの感動を生み出す二つの要素には属さないものだと思っています。
(ディズニーランドなどのあえて周囲との関係を断って別の世界を作り出している役割を担っているものは除く)

それよりも、ずっと使いつづけることができて「愛着」を生み出すことが

「意外性」や「懐かしさ」を結果的に生み出すことができるのではないかと考えています。

でも、その答えとしての建築がいったいどんなものなのかは今ははっきりと答えられないのは事実で

それは、これから実際に建てるという行為の中で見つけて行きたいです。




田子坊へ行った後は、4月から日本の大学院にいくスタッフのグーさんの送別会兼、誕生日会。

衝山路にある「音」というレストランで生演奏ハッピーバースデー。

グーさんおめでとうございます。そしてがんばってください!


明日からまたお仕事がんばります。




ではでは