新しさの先に

建築における新しさとは誰にとって新しいことなのだろうか?

表層、プランニング、マテリアル、構造、プログラム...

「体験」はどれか一つという単一的なものではなく、あくまでトータルなものなのではないか。

仮に、ある一つの要素が真新しくても、それは一瞬の印象に過ぎず、

時間とともにその真新しさは霞み

結果、単に使いにくいものになっていないだろうか。

建築家にとっての建築ではなく

やはり、使う人にとっての建築であってほしい。


「その新しさは誰にとっての幸せ?」