ブラウン運動


シェイクスピア著 松岡和子訳「ハムレット

篠原一男 著「住宅論」

読了。


別にその組み合わせはランダムで偶然なものだろうけど、

その時に読みたいと思ったものは不思議とどこかで不規則な衝突を繰り返す。


まずはシェイクスピアの「ハムレット」。

言ってしまえば「ハムレットが殺された父のために復讐する」というとても簡潔なストーリーだけど、

それを約300ページ以上の脚本に変えてしまうのがシャイクスピア。

これは日本の作品ではないので、意味合いは訳者によって異なり

これまで読んで来た本と比べることはナンセンスかもしれないけど、

表現のバリエーションが幾通りもあり、人の動作表現一つとっても

シェイクスピアがとてつもない「観察力」を有している事がわかる。

ハムレットに関してだけでも1000以上の批評や論文が世界中にあるといわれている。

名作であり、問題作であることは間違いない。



続いて、篠原一男の「住宅論」

建築学生なら、一度は読んだことのある本として認識されているもの。

しかし、ずっと読もうと思いつつも、恥ずかしながら僕は有名な一節以外は今まで読んでいなかったので

上海に来る前にこちらへ持ってくる本を選書していた際まず初めに選んだ本。

日本における伝統住居の歴史的変遷を独自の視点で解釈し、自身の主張を述べている。

この本が書かれた当時(1970年)の日本建築に対するあり方、

その先(現在)の建築のあり方や

住宅のありかた、

そして建築家のありかたについて。

ここで書かれていることは住宅に限らず、

建築とその周辺で考えなければいけないことが凝縮されている。

すべての人が目の前の社会と同じベクトルで走る必要はないと思うが、

造形創作を行う上で意識上だけでも、

社会の流れのような、空気のようなものへ対する独自の視点は必要だと感じさせてくれる。

結局のところ、

歴史上のどこに自分自身を位置づけるかに尽きるのかもしれない

意図的にでも、天然にでもオンリーワン的なポジションが確立されなければ巨匠は巨匠になりえない。

自分にしかできないことを見いだし、実行する。

これはどの分野、どの人にも共通して言える事。

その人にしかできないことが誰にでも必ずあると思うし、

他者に対しても、自分自身に対してもずっとそう思っていたいと思う。

篠原一男は「個」の可能性について本書では言及しているが、

そこで言っていることは逆説的に考えて組織を考えるときに言える事だと思う。

今回、思わぬ巡り合わせで読んだ二冊は虚構の表現と実像の表現についての著書であり、

表現とは結局のところ自己で完結することはなく、

自分以外の他者へどう理解してもらえるかということにつきると実感させてくれる。

難題な表現で利口のふりをするのではなく、

どうしたら相手に伝わるかということを創作者は忘れてはいけない。

この両者の洗練された著書はそんな事を教えてくれているようだった。

創作者とは表現する人のことである。

偶然がもたらす思わぬ巡り合わせはたくさんの発見を与えてくれた。