分類ゲーム

隈研吾 著「10宅論」読了

70年代以降の日本における住宅の種類を様々なネーミングを基に分類し、解説した書籍。

単に時代建築の解説本というよりは隈自身の近代化した日本文化へのアンチテーゼが伝わってくる本。

この本の内容によれば、日本における住宅は以下の10種類に分類できる。

ワンルームマンション派
②ペンション派
③カフェバー派
④ハビタ派(今でいうとIKEA派?or 無印良品派?)
⑤アーキテクト派
⑥住宅展示場派
⑦建売住宅派
⑧クラブ派
⑨料亭派
⑩歴史的家屋派

そして、さらに

住まう人、置かれている家具、場所、単価、素材など細かな点まで分析されている。

本で取り上げられているのは「家」というモノだけど、これはそのまま「作家性」にも繋がる話。

つまり隈研吾もやはり自分を時代の中で自分がどういった振る舞いをしていこうか

という事をこの時から既に探っていたのではないかと予測することができる。

昔も今も活躍している人は時代の文脈の中で自分をどこに位置づけるかということをかなり分析的にやっている。

もうこの見解は様々な本を読んで行く度にほぼ確信へと変わっていっている。


文末に書いてあった「近代」が失ってしまった「場所」をどのようにして再び顕在化させるか?

それが、後に出版された「負ける建築」という隈自身の建築スタイルに繋がっていったのかもしれない。


こういったタイプ別にわける行為は時代を俯瞰してみるにはかなり有効に働くと思う。

ミクロな視点ではそれぞれに差異はあるだろうが、そんな差異を気にするのは玄人だけなのかもしれない。


映画「モテキ」もある意味でこの本と同じようなことをやっている。

現代的な女性像を俯瞰的に4つのタイプに分類して各登場人物にその特徴を反映させ

主人公の幸雄とのストーリーが展開されていく内容は対象は違えど大枠の構成はけっこう似ている。

人それぞれは育った環境や性格はミクロな視点で言えば4タイプに決して分類できないけど、

俯瞰してみると4タイプに当てはまるのではないか?といったニュアンスにおいては結構近いと思う。


縮小していく時代へ突入した日本と

バブルが落ち着き次のフェーズへシフトしようとしている中国では

どのようなスタイルがこれから必要とされていくのか?

僕たちは物事を見る目の解像度を上げ、それを予想し実践していかなくてはいけない。