篠原一男 建筑展


日曜日の施主との打ち合わせがキャンセルになったと上司から連絡があり、
土曜日が仕事だといつものように気持ち的にも準備していたが急に休日になった。




週の半ばくらいに中国人の建築友達から連絡があり、今週の土曜日に上海当代艺术博物馆で4月20日から始まる「篠原一男 建筑展 」のオープニングシンポジウムに日本から坂本一成伊東豊雄長谷川逸子の日本を代表する大巨匠建築家達が来ると聞いていたが、200人の定員に対して600人以上の予約が殺到し、事前予約がないと入れないと聞き半ば諦めていたのだが、だめだったら展示会だけでも見て帰ろうと思い、仕事も急にキャンセルになったので、行ってみた。



しかし、入り口のスタッフがとてもいい人で、どうしても入りたいという事を伝えると、なんと入れてくれた。中国人にはこんな懐の深さがある。

何でもやってみないとわからない。



シンポジウムの内容は2部構成で、まずはじめに坂本一成伊東豊雄長谷川逸子三者が建築家・篠原一男との関わりについてと自分自身の建築を相対的に発表。篠原一男といえば、東京工業大学の伝説的なプロフェッサーアーキテクトだったわけだが、この三人の中で坂本一成は研究室の卒業生、長谷川逸子はかつての研究生で約10年間に渡って篠原一男のもとで設計に携わっていたという話は有名だが、伊東豊雄だけが東大出身で、しかも菊竹清訓事務所出身で接点はどこにあるのか?とさえ事前に思ったが、長谷川逸子の紹介で中野本町の家の時代に初めて会ったことをきっかけに1976年の新建築臨時増刊に伊東は「ロマネスクの行方」という表題で昭和の住宅史についての論文を書き篠原一男についての批評文を書いたのだと言う。のちに、篠原一男の教えを受けた人達の集まりを「篠原スクール」と命名したのが、隈研吾、竹山聖だという。


通常の建築における師弟関係は、師匠のスタイルを踏襲してゆき、緩やかに自分のスタイルを生み出して行くという流れが一般的なのだが、「篠原スクール」はある一定期間教えを受け、そこから対立、もしくは反発していくのだというダイアグラムは興味深かった。それだけ強烈な人物であったことが伺える。


そして、三者が口を揃えて言った篠原一男の代表作「白の家」について伊東豊雄の論考が興味深かった。多くの建築家が篠原一男の作品について「美しい」という。その根拠は何か?について述べていた。

1.閉鎖性

2.抽象性

3.象徴性

この3点。

これが最も表現されたのが、正方形のプランに柱が一本、空間をそこから少しだけずらすことによって生まれた建築の「白の家」だという。建築家が口を揃えて美しい空間だというあの超有名住宅作品だ。

現代で活躍している妹島和世藤本壮介にも共通してこのことが言えると言っていた。


2部のシンポジウムではこういった論考からシフトしていき「現代性」についての話が盛り上がった。建築は他の業種と同様に世界のマーケット、時代には逆らえない。逆らうと社会から必要とされなくなり、干され仕事を失う。しかし、社会と距離をとり批評がなければ建築家としての存在意義がなくなってしまう。

際どいところで生きている人種の人達の事を建築家という。

今回の3者は篠原一男の空間の美しさに共感はしつつも、自分たちの時代には篠原のやり方はフィットできないと感じ、3者3様の社会へのアプローチを模索していった。この話で重要なのは、篠原一男という超巨匠の考えを肯定しつつも、それぞれが現代風にアレンジしていったということ。

単なるオマージュでは、その時点で時代遅れになり社会性を失っているのである。



現代においてもヨーロッパの教会建築に多くの人達が魅了される。単なるオマージュであれば、それをそのまま、なんの脈略のない場所に似たものをつくれば、その街も豊かになるではないかという発想は、どこか今の中国的発想であるように思う。現に、ディズニーランドの劣化コピーや、映画村のようなほとんど廃墟になってしまっている地区がそれを物語っている。




震災前の日本も同様に、アートで街を活性化しようと、日本全国で大量の税金が投入され、様々なビエンナーレトリエンナーレが開催され、一時的な賑わいをつくり出し、衰退していった。これもロンドンやパリといった歴史のある芸術都市とは脈略が異なること、つまり時代性を捉えていないからこのような事態に陥ったのではないか?



篠原一男がすごい、それを真似したら、現代でも評価されるということにはならないのである。

歴史を学ぶとはそういうことだと思う。断片的に切り取られた「美」に永久性はない。


これを理解していると

中国における「ショッピングモール」と「創意園」というのは極めて現代的だし、この2つに批評性を求めるのは素直だなともさえ思えた。

日本における現代建築はリノベーションやシェアオフィス、コワーキングスペース福祉施設か。




今日の3人はこの自分が生きている時代の社会との距離を客観的に見なさいということを観客に訴えているように思えた。久しぶりに日本の建築的論考に触れたが、上海に来た事によってそう言った事象を客観的に見れるようになった気がした。



この抽象的でロジカルな議論が4時間以上続いたが、会場にいた現代の中国人がこれを全て理解できているのかは甚だ疑問である。帰りのタクシーでたまたま一緒になった香港の設計事務所に勤務している中国人3人も、篠原一男を今日まで知らなかったと言っていた。それよりも伊東豊雄のほうが中国では有名だそうだ。確かに。


客席には北京でご活躍されている迫さんや、MAD architectsの马岩松、非常建筑工作室の张永和など名だたる日中の有名建築家が来ていたことからも、この展覧会が今の時代の中国で開催されることに大きな意味がある事を物語っている。

中国人建築家がよく口にする中国人による中国の「本土化」が顕著に現れるのも時間の問題だろう。



篠原一男 建筑展
时间: 04月20日 ~ 06月22日 每天09:00-17:00
地点: 上海 黄浦区 花园港路200号
费用: 免费
WEB: http://www.douban.com/event/20874439/